こころ

ノーと言うことがなかなかできない人っています。自尊心が低くて、人の顔色ばかり窺ってしまうような場合とか。

それとは違って、ノーと言おうと思えば言えるのに、あえて言わない人もいます。人の重荷を引き受けることが自分の使命かのように思っている場合です。立派にも見えますが、他人の問題を引き受けることに自分の存在価値を見出してしまうとなると、共依存的と言ってもいいかもしれません。副腎疲労のもとでもあります。

ミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』という本にこんな一説があります。

ある青年が迷宮の都市を去ろうとしていました。その迷宮の掟は、「迷宮を去る者だけが幸福になれる。だが、幸福な者だけが迷宮から抜け出せる」というもの。

脱出するには試験を受けなければなりません。試験の課題が何かはわかりません。わかっているのは、課題は受験者の特性にぴったり合ったものということだけ。つまり、課題は受験者によって異なります。自分を正しく認識して、そもそも何が課題なのかを発見すること、まさにそれが課題でした。

試験が始まると、青年はどこに行っても不幸な者に会いました。ある片足の乞食に、「あんたは幸せだから、ほんのちょっとでいいから、おれの不幸をもって都市を出て行ってくれ」と頼まれ、その松葉杖を引き受けて、引きずっていた網に入れました。

その後、出会う人は次々といろんなものを彼の網に絡ませてきます。網はどんどん重くなるけれど、青年は自分の課題が何であるか確信していたので、試験に合格するものと希望に満ち溢れていました。

けれども、最終的に、青年が試験に合格することはなかったのです。彼の課題は服従しないことだったのだから。