こころ, フラワーエッセンス, 人間関係

最近読んだ本に、関心をもつということには2種類あると書かれていました。相手の気持ちや考え、どういった人間であるかなど、相手の内面そのものに関心を寄せるということ。もうひとつは、相手の気持ちや考えなどが、自分自身にどう影響してくるかということに対する関心です。

たとえば前者は、親であれば、子どもがどういったことを常日頃考え、感じているのかに関心をもつということです。ひとりの人間として理解しようとして、この子はどういう子なんだろうという興味をもつということですね。

それに対して後者は、この子は全然勉強しないけれど、進路についてきちんと考えているんだろうか、というように、一見関心を寄せているように思えるけれど、その裏には、早く独り立ちしてほしい(そうすれば手が離れるから自分のことにエネルギーが注げる)という想いや世間体を気にする気持ちなどがあって、関心があるのは実は相手そのものではなく、相手の行動によって自分自身が今後どうなるのかということ。

この関心の違いはカップルについてもよく見られます。よく受けるご相談に、長い間付き合っている彼がなかなか結婚してくれないので、別れようか迷っているというものがあります。

これも、相手を一人の人間として理解しようという想いがあれば、相手が何を考えているのか、まず話をして理解しようとするのではないかと思います。もしそれをせずに、別れようか迷っているのであれば、すでに相手そのものよりも自分が今後どうなるのかということの方が関心が強いということなのかも。

そこにはもう愛はないようにも思えますが、そもそも本当に相手そのものに関心を寄せたことがあったかどうか。独りだと寂しいから、周りがどんどん結婚しているから、という動機から婚活をする人も少なくありません。きっかけは何であれ、目の前に現れた相手を理解しようとしてきたか。それを振り返ってみて、一人の人間として相手に新たに関心をもてるのであれば、関係は再び息を吹き返すかもしれません。

相手に対して冷めてしまった関心を呼び起こすにはオーストラリアン・ブッシュフラワーエッセンスのブッシュ・ガーデニアもお勧めですよ。

こころ, 人間関係

最近知って結構ビックリしたのは、ここのところ女性の自殺者が増えていて、その中でも同居人のいる女性の自殺が急増しているということです。コロナ禍で、家族が家にいる時間が増えたりして、家事を手伝ってもらえるどころか、かえって負担が増えていることもあるのでしょう。これまでだったら合間を見つけてしていた息抜きも、思うようにできないのかもしれません。

そういえば、既婚女性より独身女性の方が長生きするというデータもあるようですね。「おひとりさま」より、傍目には幸せそうなのに、なぜでしょう。

実はその手のご相談はよくあります。パートナーの気の利かなさや何もしてくれないことにストレスがつのり、「もう限界!」となってしまうのです。

そういう人たちの話をよく聞いてみると、とても機転の利く人が多く、相手に頼むより自分でやってしまった方が早いとか、相手のやり方ではとても任せられないと思って、結局自分でやるんだけれども、それが当たり前になってしまうと面白くなく、やがて我慢の限界が来る、という感じのようです。「こっちから言わなくても察してほしい」というのが正直なところ。相手は、何も言われないので、不満に思われているなんて気づいてもいないことがほとんど。

察してほしい気持ちはとてもわかるのですが、残念ながら、それが間違いのもと。どんなに近しい人間でも、愛し合った仲であっても、他人は他人。家族であっても人格は別です。それに、「機転が利く」というのは一種の才能であって、誰でもできるわけではありません。

でもきっと、機転が利くように見える人でも、揉まれて揉まれて、機転が利くようになったのかもしれないですよね。だから、周りの人間にもそうなってほしかったら、時間をかけて育ってもらうしかないのです。

そのためには、察してもらうことは期待せず、面倒でもいちいち言葉にすること。具体的に何をしてほしいのか、何をしてくれたら嬉しいのかを、できるだけ冷静に、怒りを交えずに伝えることです。ケンカしたいのなら話は別ですが、相手に動いてもらいたかったら、どう伝えるかは注意すべきところ。反語はやめましょう。「なんで何にもやってくれないのよ⁉」とか「ボケっとしてないで手伝ってくれない⁉」では、相手は進んで手伝おうという気にはならないと思います。

それよりも、具体的に何をどうしてほしいのかを言いましょう。たとえ面倒でも。 自分では当たり前に思えることでも、相手は具体的なやり方がわかっていないこともあり得ます。それで、やってくれたら、自分がこれだけやってるんだからそのくらい当然だと思っても、あえて「ありがとう」と言うことで、相手のやる気は増えます。逆に、ダメ出しをしてしまうと、相手は二度とやりたくないと思うかもしれないので、完璧主義はやめて、多少のヌケは大目に見ることです。

でもそんなこと、今までも試してみたけれど、結局ダメだったから全部自分がやっているんじゃない、と思うかもしれません。大切なのは、全部引き受けることをがんばるんじゃなくて、面倒だから全部自分でやってしまおうとする衝動を抑えて、やらないこと。ついついやってしまいたくなっても、グッとこらえる。相手は、自分がやらなくても結局やってもらえると思っているからやらないわけで、やってもらえなくて困るのであれば、動くしかありません。機転が利く、面倒見がよい、というのは美徳ですが、その美徳が自分の首を絞めていることもあるのです。

特に日本では、気の付く女性というのは高く評価されるので、そうなりがちですが、言葉にしなければ相手に伝わらないというのが本当のところです。ブチっと切れる前に、相手に求めることを丁寧に言葉にしていきましょう。

ところで、来月に2冊目の翻訳書が出ます。アスペルガー症候群をもつ人とのパートナーシップの本で、特殊な感じに思えますが、内容の7割くらいは通常のパートナーシップにも通じるものです。上に挙げたような問題を解決する具体的なワークが満載です。相手とのコミュニケーションが上手くいっていないと悩んでいる方はぜひ一読を。

こころ

他人の芝生は青々として見えるもので、他人にはあって自分にないものが羨ましく思えることは誰にでもあります。私にもそういうことはあります。大して仲がいいとは言えない家庭で育ったので、仲のいい家族が羨ましいと思うこともありました。

最近、人と「ある」と「ない」について話す機会があって、あらためて「ある」ということと「ない」ということを考えてみたんですが、「ある」と「ない」は裏表でしかないんじゃないかということに気づきました。

私がふと思い出したのは、昔の知り合い。当時彼女は30代前半で、私よりいくつか年下だったと思います。いつも明るくてヒマワリのような彼女が、ある日ひどく落ち込んでいたので、どうしたのか尋ねたところ、人間関係で嫌な目に遭ったとのこと。「人生でこんなに辛かったことはない」というのですが、私からすると、「えっ、その程度のことで?そりゃ、今までがよっぽど幸せな人生だったんだね」と内心思ってしまうようなことでした。

よくよく考えてみたら、彼女はいつも楽しそうに家族のことを話していました。家族の話なんか楽しくもないので滅多に他人にはしない私からすると、不思議。訊いてみると、とても仲の良い家族で、これまでに大きな問題はなかったとのこと。

それを聞いて納得。恵まれ過ぎた環境で育ってきたから、人間関係での逆境に弱くなってしまったということです。愛情があったために、強さが育たなかった。そう考えたら、私は家族に恵まれたとは言えないのかもしれないし、思春期には学校でいじめに遭ったりもしたけれど、その分強くなり、独りでも行動できる力がつきました。

だから、自分に「ない」ものばかりが気になったら、それが「ない」代わりに、いや、ないからこそ自分に「ある」ものを見つけてみるといいですよ。それは、実は他人の目には羨ましく映るものかもしれないのです。

からだ, こころ, ハーブ, フラワーエッセンス, ホリスティック, 植物

このところ、暖かくなって春めいてきましたね。春に向かっていくこの時期に、冬のあいだに溜まった老廃物を出したいところです。

私は菜の花のお浸しが大好きで、この時期にしか出回らないので、ここぞとばかりに毎日のように食べています。菜の花には解毒作用や抗酸化作用などのあるイソチオシアネートが含まれているほか、ビタミンやミネラルもたっぷりです。

イソチオシアネートはアブラナ科の植物に多く含まれています。キャベツ、ブロッコリー、大根、白菜、かぶ、わさび、チンゲンサイ、クレソンなどもそうです。ブロッコリースプラウトのスルフォラファンというよく知られた成分もイソチオシアネートです。

ハーブで毒出しによいのは、ダンディライオン(タンポポの根)やバードックなど。バードックはゴボウのことですが、海外では食用ではなくメディカルハーブとして用いられます。浄血や解毒作用があります。

ネトルも浄血作用や利尿作用があり、花粉症予防のための体質改善によいとされているので、今のうちから摂っておきたいですね。

ほかには、アーティチョーク、ミルクシスル、ウコンなども解毒に大切な肝機能を高めてくれます。ウコンには春ウコンと秋ウコンがありますが、強肝作用のあるクルクミンは秋ウコンの方が多いそうです。春ウコンにはそれほど含まれていません。それから、ローズマリーやジュニパーもデトックスによいようです。

今年は、ジェモエッセンスを試してみることにしました。ジェモエッセンスとは、植物の新芽の植物幹細胞の成分を抽出したもので、植物がこれから育っていくための生命力が物質的にもエネルギー的にも入っているのだとか。身体だけではなく、心にも働きかけます。

ちょっと前に、割引で購入できる機会があったので、デプラリスというミックスエッセンスを買ってみました。


これは、ローズマリーとジュニパーのジェモエッセンスに加えて、ゴボウ、タンポポ、クロダイコンのエキスが入っています。ばっちり、毒出しできそうですね。花粉症やアレルギーのある人はアレルゴリスの方がいいと思います。

身体だけじゃなくて、心もスッキリしたいという人は、オーストラリアン・ブッシュフラワーエッセンスのピュリファイング・エッセンスというコンビネーションを試してみてください。不要な感情のゴミをすっきりさせることができます。ボウヒニア、ブッシュ・アイリス、ボトルブラシ、ダガー・ハキア、ドッグ・ローズ、ワイルド・ポテト・ブッシュが入っていて、エネルギー的に肝臓や腎臓などの臓器にも働きかけます。

12日は新月。浄化にも物事を始めるにももってこいの日です。私は新月から始めようかなと思っています。みなさんも一緒にいかがですか?

こころ

このところ、夜な夜なアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』を少しずつ読み返しています。実にン十年ぶりなので、内容はほとんど忘れてしまっていました。ゲド戦記の1巻は、ゲドが一人前の魔法使いを目指して修業する話。ゲドの通り名は「ハイタカ」です。

鷹と言えば、「鷹の選択」という話があります。鷹は寿命が長く、70歳くらいまで生きるけれども、40歳を過ぎるとある選択をしなければならない。くちばしは大きく曲がり、爪は弱くなって獲物が取れず、羽は重たくなって飛べなくなる。そのまま老いて死んでいくか、変化を選ぶか。変化を選んだ鷹は、岩でくちばしを割り、新しく生えたくちばしで爪をはぎ取り、新しく生えた爪で羽をむしり取る。羽が生え変わると、鷹は生まれ変わった姿で残りの30年を空高く飛んで生きていく。だいたい、そんな話です。

これ、だいぶ以前に話題になったそうですが、実は大ウソで実際の鷹は10~15年くらいしか生きないし、そんなことはしないのだそうです。よく自己啓発セミナーで使われる話だとか。

頭が単純な私は、この話を知ったときにはえらく心打たれたのですが、嘘だとわかっても、どちらでもいいような気がするんです。ホントであろうとなかろうと、要は、この話には心打つ何かがあるということ。

40前後の人間はこの話を聞くと身につまされることが多いと思うんですが、実際、老いを目の前にして劇的に変われる人間って少ない。獲物が取れなくなる鷹と違って、人間は年取ったって喰いっぱぐれることはそうそうないし、なんだかんだとのほほんと暮らしていけます。

でも、この喩えを人間に当てはめると何なんだろうかっていうと、白髪を全部抜いたら黒髪が生えてくるわけでもあるまいし(笑)、老いを前にして自らの手で壊すべきものは何かといえば、それはエゴなのかなあと。簡単じゃないですね。でも実は、爪をはぐほどの痛みを伴うのかもしれません。

そういえば、『ゲド戦記』のゲドも、早熟で傲慢だったために、事件を起こして生死の境をさまよいます。そのときに自ら放った影を探す旅に出るのです。

『ゲド戦記』 、映画は原作とはだいぶ違うけれど、挿入歌は秀逸。

こころ

人にどう思われるか気になることは誰にでもあります。

でも、それが行き過ぎると大変ですよね。自分がしたこと、言ったことをいちいち振り返っては、気を悪くさせたんじゃないだろうか、出すぎた真似をしたんじゃないだろうか、と一人で反省大会ばかりやっていると、疲れ果てます。実は、そうしたご相談も少なくないのです。

そうした人は、一見感じよく、いわゆる「いい人」のように思えます。十分いい人なのに、さらに完璧にいい人になろうとしているようにも見えます。それまでも「いい人」になろうと、相当がんばってきたのかもしれません。

どうしてそこまで「いい人」になろうとするのかの背景には、理想の自分が高すぎるというのもあるかもしれませんが、身近にそういう人がいた影響というのもあるかもしれません。身近にいた「ちゃんとした人」の影響で、自分もそのレベルにならないといけないと無意識に思ってしまっているような場合です。

たとえば、気のよく利く母親に育てられたり、きちんとした兄弟姉妹がいたりして、そうでない自分にコンプレックスをもって育つと、それを克服すべく、きちんとしたいい人間になろうと無理をすることがあります。

そうやって、いつも感じよく、きちんとしていようと無意識にがんばっている人のそばにいると、「すごいなー」「なんか大変そうだなー」とのんきに思える人はいいですが、同じような背景をもっている人は、コンプレックスが刺激されます。そうすると、その人も「ちゃんとやらなくちゃ」「私も感じよくしなきゃ」などと思い始めます。それが行き過ぎると、同じように、些細な失敗を振り返ってはクヨクヨ反省してしまうのです。

そんなふうに、いい人完璧主義は連鎖することがあります。

だから、ちょっとくらい愛想悪くたって、気が利かなくたって、変なことを口走ったって、気にしないことです。自分のいい人っぷりが実は誰かを追い詰めていることもあるのだから。

でも、こういう人って、さっきの自分の振る舞いは完璧すぎただろうか、なんてまた反省大会を繰り返しちゃうんです。

この手の考え方はコルチゾールを無駄遣いして副腎疲労になりやすく、副腎疲労があると、この手の考えに歯止めがかからないという悪循環になりがちです。

大切なのポイントは、この手の反省大会をやっている自分に気づいたら、自分は今疲れているのだと理解すること。そのときにやらなければならないことは、取り消しようのない自分の過去の言動をほじくり返して自分をイジメるのではなく、ぬるめのお風呂にゆっくり浸かったりして、自分をいたわることです。

そして、ついついグルグル考えてしまったら、一連の思考を「ま、いっか」という言葉で終わりにしましょう。

からだ, こころ, 分子栄養学

涼しくなって、チョコレートがベタつかない季節になりました。チョコは私も大好きで以前はよく食べていました。高カカオのものはポリフェノールがたくさん含まれていて、身体にいいとも言われていますよね。でも、ポリフェノールだけに注目すれば確かに身体にいいかもしれないけれど、食べ過ぎはやっぱり良くないのです。

砂糖が入っているから?それもあるけれど、問題は銅の過剰摂取になること。

カカオ豆には銅が豊富に含まれていて、チョコレートやココアに加工された後も多く残るそうです。

銅は身体には欠かせないミネラル。ヘモグロビンの合成を補助して造血を助けたり、抗酸化にも関わっています。

ところが、やっぱり、過ぎたるは猶及ばざるが如し。過剰になると問題も起こってきます。

神経伝達物質のドーパミンからノルアドレナリンに変換されるときに、銅が必要ですが、銅が過剰だと、その変換が促進されやすくなって、ノルアドレナリンが増えすぎてしまいます。ノルアドレナリンは、新しい知識を長期記憶として貯蔵するときなどに必要です。でも、これもやはり過剰だと、脳の扁桃体が過活動になって、不安が高まったりパニック状態になったりします。

ノルアドレナリンはアドレナリンに変換されるので、すんなり変換されればアドレナリン過剰になって、イライラしたり攻撃的になったりします。アドレナリンに変換されないと不安が強く、メソメソしがちに。

銅は亜鉛とブラザーイオンと言われていて、1対1が理想的なのですが、片方が増えると片方が減ります。つまり、銅過剰は亜鉛不足につながるのです。亜鉛も大切なミネラルで、酵素反応を促したり、生殖機能を高めたりしますし、免疫にも欠かせません。

ところが、現代の食生活ではただでさえ亜鉛が不足しがち。チョコを食べ過ぎれば、亜鉛不足はさらに深刻になります。

また、銅を運ぶセルロプラスミンというタンパク質は、エストロゲンが過剰になると増加します。なので、妊娠中のチョコはさらに銅過剰を悪化させます。妊娠中に情緒不安定になりやすいのは銅過剰が一因なのですね。

でもそもそも、無性にチョコレートが食べたくなるのはなぜなんでしょう?

考えられる原因のひとつは、低血糖。だるく、やる気が出ないので、血糖値を上げようとして糖分を欲します。また同時に、チョコに含まれるテオブロミンというカフェインに似た成分を摂ることで、動くためにしゃっきりしたいのです。特に、寝起きにチョコを食べたくなるような場合は夜間低血糖を起こしているかも。

そして、低血糖の背後には、副腎疲労が隠れているかもしれません。朝がつらいのはそのせいかも。

子どもにイライラしてつい怒鳴ってしまうのも、先のことが不安で仕方がないのも、自分が未熟だからでも、心配性だからでもないかもしれませんよ。まずは、チョコレートを食べ過ぎていないか振り返ってみましょう。

こころ, タロット, ホリスティック, 占星術

日頃、さまざまな人生を垣間見させていただいていると、まさにこの人は人生の岐路に立っているんだなとタロットやホロスコープからわかることがあります。

人生を左右するような大きな選択。それを目の前にするのは怖いことに違いありません。

ちょうど山登りをしていて、自分の登る山はこれじゃなかったと気づくようなもの。

ずいぶん高くまで登ってしまっていれば、降りるのは勇気がいるし、登山仲間がいようものなら、みんな口を揃えてこう言うでしょう。「せっかくここまで来たのに。あの山を登るのは危険だよ。自分も登りたいと思っていたけど、あきらめたんだ。怖い目に遭ったって話も聞くしね。この山なら仲間だっているんだし、一緒にがんばろうよ。」
本当に心配してくれているのかもしれないし、抑圧した昔の自分の影を見て、無意識に潰そうとしているのかもしれない。でも、そのアドバイスに従ったら、10年後には自分も同じことを口にしているでしょう。

そんなときに、違う山を登ろうと一歩を踏み出す決意をするのは、バンジージャンプをするような気分かもしれません。

バンジージャンプって、必ず背中を押してくれる人がいるそうですね。やっぱり自分ひとりじゃ、飛び降りるのは難しい。

タロットでGOサインが出たら、私が背中を押してあげます。とても光栄なお役目。

がんばれ。

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こころ, 雑記

昨日は久しぶりに文楽を観てきました。人形浄瑠璃というやつです。私は伝統芸能好きなので、文楽も年に数回は観に行くのですが、今年は中止ばかりでようやく観に行けました。

演目は『壺坂観音霊験記』。慎ましい暮らしを送る夫婦のお話です。かつて疱瘡(天然痘)にかかって目が見えなくなった夫を妻が内職をして支えながら生計を立てています。毎晩明け方にこっそり出掛ける妻に、誰かほかの男と逢引きでもしているんじゃないかと夫は心を痛めていました。自分は目も見えないし、疱瘡の跡のあばたで顔も醜くなってしまった。好きな男ができたなら、正直に打ち明けてほしい。夫にそう言われて妻は泣き出します。実は、明け方に毎日出掛けていたのは、夫の目が治るよう観音様にお祈りしに行っていたのでした。

話はここで終わりではないのですが、ネタバレになるのでこの辺にしておきます。

勝手な憶測が生み出すすれ違い。そんな話、よくあるなあと思うのです。
現在、週に1回、占いのお店で鑑定をしていますが、最近恋愛のご相談をよく受けます。相談者の方たちは「相手はきっとこう思っているに違いない」と言うのですが、タロットやホロスコープで見てみると、違んじゃないかなあということがほとんどです。

日本人は特に、「以心伝心」を求めがちなので、想いを言葉にすることが少なくなりがちです。でも、たとえそれが思いやりからであったとしても、実際話し合うことなく、憶測だけで相手の気持ちを推し量ることが続くと、小さなズレが積もり積もって取り返しのつかないことになったりするんですよね。

きっとこうに違いない、という目で物事を見ると、都合のいいように現実を切り取ってしまうので、実際には事実とは違っても事実のように思えてしまいます。

なぜそんなふうに物事を見てしまうのかというのは、この話に出てくる夫のように、自信のなさから来ることがあります。やっぱりまずは、自分を愛することって大切なんですよね。

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からだ, こころ

私はだいぶ以前に子宮内膜症を患っていたことがありました。その病巣がなぜか突然消えてしまったことは過去の記事で書いた通りです(こちらを参照)。

MRIでもエコーでも病巣が見当たらないと言われたときには耳を疑いましたが、もちろん嬉しかったと同時に、ちらりと頭をかすめたことがありました。それは、「困った、内膜症を言い訳にできなくなってしまった」というものでした。

では、私は子宮内膜症があることを何の言い訳にしていたんでしょう。当時私は、とある団体でボランティアをやっていました。すべてボランティアで成り立っている団体だったので、人手は少なく、私はかなりの量の仕事を引き受けていました。最初は、皆大変そうだし、ほんのちょっとだけ、という気持ちでしたが、「ちょっと手伝いましょうか?」と言ってみたら、あれもこれもと次々と頼まれ、それ以上頼まれるのはイヤだったので、集まりには顔を出さずにいたのです。

そのときの言い訳が「私には子宮内膜症がある」というもの。実際には、症状はだいぶ治まっていたので、それを口に出したわけではありませんが、自分自身の後ろめたさに対しての言い訳として使っていたのです。だから、病巣が消えたと言われたときに、そんな想いがよぎったのでした。

内膜症は消えたものの、子宮筋腫はいくつかあるということだったので、引き続き、無意識のうちに、それを心のどこかで言い訳にしていました。

それでも、すでに引き受けていた分も、私にはいっぱいいっぱいだったようです。それに気づいたのは、便秘が1ヵ月も続いたとき。どう考えてもおかしい、と病院へ行き、大腸内視鏡検査を受けました。診断は過敏性腸症候群。要は、ストレスです。それでようやく、ボランティアを離れることにしたのです。

「ストレスが原因」というのは、便利な言葉ですが、実はそれだけでは何の解決にもなりません。いったい何がストレスになっていて、どうしてそれがストレスになることを自分は許したのか。私はただ、やりたくない、と言えばよかっただけのことです。今考えると、その頃の私は、自分はダメな人間だから、せめてボランティアで人の役に立たなくては、と思っていたのだと思います。当時はそんなことにはまったく気づかなかった。

そんなふうに、すべてではありませんが、病気の陰には、隠された意図が潜んでいることがあります。何かをやりたくない、家族の愛情が得られる、注目される、やりたいことはあるけれど、失敗するのが怖いから実は挑戦したくない、など。ホリスティックな見方では、肝臓は怒り、腎臓は怖れというように感情と関連づけられることがありますが、抑圧された感情が信号を発している場合もあるかもしれません。

病気という形でそうした心の声に気づくことにならないように、日頃から自分の中の隠れた小さな声にも耳を傾けましょう。