壮年期の発達障害

発達障害

この頃は、大人の発達障害についてテレビでも取り上げられるようになりましたが、壮年期の発達障害についてはまだそれほど注目されていません。

発達障害という概念ができたのはここ最近のことなので、自分に発達障害があることに気づかずに大人になったケースは実は少なくありません。

そうした場合、一見、普通に社会生活を送っているように見えますが、本人としてはいっぱいいっぱいだったりします。能力の凸凹の凹の部分を、通常とは違ったやり方で補っていたり、普通は直観的にできる対人関係でのふるまいも、大量のデータを入れて頭の中で処理することで乗り切っていたりすることもあります。知的能力が高いほど、そうした形で補って、一見ごく普通に見えるようにふるまっている、ということを示した研究もあります。

また、自分の子どもに発達障害があることがわかったことから、自分自身も発達障害的な問題を抱えていたことに気づく人もいます。

多くの人はこう思うと思います。「社会で普通にやっているのなら、発達障害なんて言わなくていいのでは?」

実際には、発達障害というのは社会的な行動面に問題があるだけではなく、代謝などにも異常がある場合が多いのです。そういった問題を理解して対策を立てることで、生きるのがずっと楽になる可能性があります。「『障害』じゃなくて『個性』でいいのでは?」と思う人は、「障害」は劣位的なものではないかという、うっすらとした差別意識がないか、自らに問いかけてみてほしいと思います。弱者に手を差し伸べるような人の中にも、上に立って手を差し伸べるのはいいけれど、自分や身近な人間に発達障害の可能性があるということになると、目を背けたがる人は意外といます。

かくいう私も、実は十数年前にアスペルガー症候群の診断を受けています。めったにそう見られることはないし、言ってもまず理解されないので、人に言うことはほとんどありませんが。

人生を何十年も過ぎてから診断を受けるというのは、実は結構ショックなことです。そこからそれを受け入れて人生を構築していくというのは、楽なことではありません。そういったケースは多くはないでしょうが、一助となればと思い、去年『壮年期のアスペルガー症候群』という翻訳書を出しました。興味のある方は、ぜひ読んでいただけたらと思います。

ガイド 壮年期のアスペルガー症候群:大人になってからの診断は人生をどう変えるか 1,836円 Amazon

以下、訳者あとがきからの引用です。

 
「本書はアイデンティティの面からアスペルガー症候群の診断について論じた初めての本ではないかと思います。日本でも成人の発達障害が広く知られるようになってきましたが、壮年期を過ぎて診断されるケー スはまだあまり取り上げられていません。
 
私自身も著者のフィリップのように、数々の遍歴を経た末に、十数年前に偶然アスペルガー症候群につい ての新聞記事を目にし、「私はこれに違いない!」と直観的に思って自ら診断を求めたところ、各種検査の 結果、三四歳でアスペルガー症候群の診断を受けました。人にそのことを話しても信じてもらえることはほとんどありませんが、診断医いわく「典型的で全然診断に迷わなかった」とのことです。医学的治療を要する二次障害はないので、現在の基準では自閉スペクトラム症の診断はつかないのかもしれません。
 
私も診断の前後を通じて数々の「自己治療」を試み、診断のことを周囲に話しても理解してもらえず、 やっかいな脳をもて余していましたが、私の場合は低血糖と栄養の問題に取り組むことでずいぶんと楽になり、フルタイムの仕事と勉強のかたわらにこうして一冊本を訳せるほどの体力と気力がつきました。
 
発達障害というレッテルを貼るのではなく、「個性」ということでいいんじゃないかと考える人がまだま だ多いのではないかと思います。ではなぜ、そんな「レッテル」を貼られてまで、診断を受けたことにホッとする人間がいるのでしょうか。また、そうした人がなぜ世の中に増えているのでしょうか。簡単に答えの出せる問いではありませんが、「個性」でいいのでは、という人にもその点について本書をきっかけに考えていただければと思います。
 
本書がイギリスで出版されたのは2014年ですが、科学的知見は日々更新されています。今では、発達障害者特有の代謝異常や栄養面の問題など、分子整合栄養医学という分野からも新しい知見が得られて いますし、発達障害者には認知行動療法が有効ということも言われているようです。診断が遅くとも、人生を楽なものにできる余地はまだ十分にあるのです。そうしたことを踏まえると、「個性」で片づけてしま うというのは、見方を変えれば、そうした問題に対処して人生をより良いものにする機会を奪うことにもなりかねないのではないでしょうか。
 
子どもたちの未来のためにも、発達障害に対する世の中の理解が進んでほしいとは思いますが、遅れて診断を受けた当事者は、理解が進むのを待っているあいだにも人生の残り時間はどんどん少なくなっていきます。決して楽な道のりではないかもしれませんが、これまでサポートなしで生き抜いてきたバイタリティーをもってすれば、この先の人生を好転させることも夢ではありません。拙訳がその一助となれば幸いです。」