ホロスコープは成長の道標

占星術

たまにはマニアックな占星術ネタを。

久しぶりにリズ・グリーンの『占星学』を読み返しています。この本に出会ったのは、もう四半世紀も前のことでしょうか。手に入れたのは、インドの古本屋さんです。

当時、私はインドの古典音楽を習いに日本とインドを行き来していたのですが、もともと身体が弱かったこともあって、あちらではよく寝込んでいました。今みたいにインターネットもない時代だったので、暇なときには本を読むしかありませんでした。日本人観光客が多い街にいたので、日本語の古本を置いている店もあって、そこで見つけたのがこの『占星学』という本。

その頃、占星術はすでに好きで自分で本を読んでホロスコープを描いたりしていました。この本は、ユング心理学をベースにしたホロスコープの解釈について書かれていますが、学生時代は心理学が専攻(ろくに勉強しませんでしたが)でユング心理学は好きだったので、興味津々で買って帰ったのでした。そうしたら、面白いのなんのって。その奥深さにすっかり魅了されて、その後も何度か読み返しました。

それから、ずいぶんと現実的になっていた時期があって、占星術もユングも遠ざかっていたのですが、占星術を真剣に学び始めたこともあって、再び読んでみたくなったのです。

ユング自身、占星術に強い関心をもっていたことは有名ですが、占星術の12星座を火・風・地・水の四元素に分けるという考え方はユングの理論にしっくり馴染みます。ユング心理学では直観(火)と感覚(地)が非合理的機能、思考(風)と感情(水)が合理的機能とされ、直観と感覚、思考と感情はそれぞれ相反するもので、どちらか一方が優勢で、片方は劣勢となりやすいと言われています。つまり、直観が強いと感覚(現実能力)が弱くなり、思考が強いと感情が弱くなる、などです。

私のホロスコープは、火の星座と地の星座に天体がたくさん入っています。太陽も月も獅子座だし、火星は太陽とコンジャンクション。一方で、アセンダントは山羊、土星は牡牛座で、乙女座に入っている金星+冥王星のコンジャンクションと緩やかなグランドトラインを形成しています。水星も乙女。

そのせいか、人によって持たれるイメージがずいぶん違います。自由人に見られるか、マジメな人と見られるか。片方のイメージを持っている人には、私のもう一方の面が垣間見えると、「え、意外」と言われることがよくあります。どちらも本当の私なんだけれど。

でも、ソーラーアーク法という、天体を歳の数だけ1度ずつ進めていく方法で太陽を追ってみると、その過程に納得がいくんです。

そもそもが獅子座なので、子どもの頃からしばらくは、確かに直観タイプで現実的なことが苦手でした。なにしろ、お小遣いで『ムー』とか買って読んでいるような子どもでしたから、親に心配されてました(笑)。高校に入ってからは音楽に夢中になり、大学出ても就職せずにインドに行ったりして。具体的な目標がしっかりとあったわけではなく、ただ目の前にある、やりたいことをひたすら追いかけていました。全然地に足がついていなかったけれど、それを疑問にも思っていなかったので、今思えば、ある意味では幸せでした。

ソーラーアークの太陽が乙女座に入って10度くらい(つまりようやく乙女座に馴染んできた頃)、ちょうどサターンリターンの頃でしょうか、体調不良もあり、インドに長期滞在するのもきつくなって、しばらくマジメに働くことになりました。派遣で一部上場企業で働いていたんですが、そこで価値観がガラッと変わっちゃったんですね。

それまでって、「普通」というのをバカにしていたんです(ごめんなさい)。サラリーマンなんて絶対につまらない人種だと思っていたし。親が堅い職業だったこともあって、真面目に働くということにものすごく反発があったんですね(そう、昔はとがってました(笑))。それが、実際にサラリーマンに接してみると、面白い人もいるし、いい人もいるし、真面目に働くのって悪いことじゃないと思えるようになったんです。

その後、派遣の仕事でいろんな会社行って働いて、結局はやっぱり会社勤めは性に合わなくてフリーランスの翻訳者として食べていくようになりましたが、乙女座的な「雇用されて働く」っていうことはしっかり学んだような気がします。乙女座的な学びと言えば、日常生活を難なくこなせるようにもなったし、この頃にはボランティアもずいぶんやりました。がん関連の翻訳だとか、ヴィパッサナー瞑想のセンターの手伝いとか。ヴィパッサナー瞑想って、マインドフルネスのディープバージョンのような感じで、呼吸と身体の感覚をひたすら観察していく瞑想法ですが、スピ的なフワフワした瞑想法ではなくて、感覚を観察する瞑想法にはまったというのも乙女座的なのかも。

ちと乙女座が強くなりすぎて、ボランティアしすぎて辛くなったりもしたこともあったのですが、そこで犠牲にならずに、離れることができたのは、そもそもが獅子座だったからなのかなと。乙女座的な力が悪い方に出ると、その対極の魚座のマイナス面が出て、引きこもりになったりすることもあるそうですが、それもなかった。

今、私の太陽のソーラーアークは乙女座の29度に差しかかろうとしています。天秤座に行く前のウダウダがたまに出たりして、毎日無難に過ごせるようになったんだからこれでいいじゃん、とか、変化はめんどくさーい、と言っている自分もいたりします。

天秤座への移行とほぼ同じくして、ハウスも8ハウスから9ハウスへと太陽が移動します。というか、気がついたらもう9ハウスに入ってました。8ハウスの最後の方は、自分では薄いと思っていた執着心だとかがわーっと出てきて、一時はどうしようかと思いましたが、ケロッとなくなった、と思ったらすでに8ハウスは抜けていたんですね。8ハウスも最後の最後に十分に学んだ気がします。執着だとか嫉妬だとか、自分のいやーな面を知らなければ、他人のそれも理解できないので。

こうやって振り返ってみると、意識していなかったのに、ちゃんとホロスコープ通りに行きていたんだなと不思議な気がします。さて、乙女座の学びもそろそろ卒業。私が最も苦手そうな、天秤座の学び、残りの人生はそれなんでしょうかね。