知るべきは他人の心ではなく自分の心

こころ

先日、観たいと思いながらなかなか観られなかった映画『ドライブ・マイ・カー』をようやく鑑賞。3時間近い長編ですが、すっかり物語の世界に引き込まれました。西島秀俊さん演じる物語の主人公は、最愛の妻を亡くした俳優。生前、妻が多数の男と情事を重ねているらしいことを知りながらも、問いただすことをしません。そんなある日、話があると妻に言われ、それを聞く前に妻は急死してしまいます。心の中に引っかかるものを抱えつつ生きているわけですが、物語の終盤で、岡田将生さん演じる、妻の情事の相手のひとりと思しき若い俳優が主人公に向かって言うセリフがとても心に残りました。

このセリフは映画独自のものなのか、それとも原作で書かれたものなのかが気になって、村上春樹の原作を読んでみました。映画のセリフは正確に覚えていませんが、ほとんど原作そのままなのではないかと思います。

「…でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に(原文傍点)他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」(村上春樹『ドライブ・マイ・カー』(『女のいない男たち』収録)より引用)

人は他人の心どころか、自分の心をわかっているつもりでも、案外全然わかっていないものです。他人に理解してほしいと思っても、それ以前に、自分で自分のことを理解してすらいなかったりします。

占いではよく「相手がどう思っているか知りたい」というご相談を受けますし、その場合にはタロットを使いますが、実際のところ、本当にそれが相手の想いを正確に反映しているのかどうかは知る由もありません。「相手がどう思っているか」ということだけにとらわれていると、答えの不確かさから不安になり、また、受け入れがたい答えであれば、別の答えを求めて、次から次へと占いジプシーになる場合もあるでしょう。

けれども、占いというものは自分自身を知るためのツールとして使えるのです。自分が本当は何を考え、どう思っているのか、読み解くことができます。あるいは、相手の想いとして映し出されたものに対して、自分自身はどう感じるのか。それを自らに問うことはできるでしょう。

結局のところ、覗き込むことができるのは、自分自身の心でしかないのではないでしょうか。

 

※今月のお店での鑑定(別名でやっています)は、国分寺で4日と18日(土)です。