ホロスコープとサイコシンセシス
出生図のホロスコープを見ると、人間というものは多面的なのだとつくづく思います。もちろん、ポピュラーな太陽星座占いのように「○○座だから○○」という単純なものではなく、実にいろんな要素が隠れているのがわかります。
たとえば、私は太陽と月と火星が獅子座なのですが、よくある解説本に書かれているのは「派手好きで目立ちたがり屋」ということです。でも、たぶん、私をある程度知っている人なら、目立ちたがりというわけでもないとわかるでしょう。「獅子座っぽく見えない」と言われることもあります。
それはきっと、乙女座にもいくつか天体が入っていて、山羊座のアセンダントと牡牛座の土星と、緩やかなグランドトラインを作っているからというのもあるかと思います。獅子座的な、独自の道を情熱的に突き進みたいという衝動はあるのですが、同時に地の星座群が、現実的な観点からそれを抑えようとしているのです。己のリズムに従って生きていきたいのに、「それって食べていけるの?」とか、「社会的にどうよ?」とか、ツッコミが入る感じです。でも、獅子座の身勝手な暴走がそれによって抑えられている面もあるのです。
もちろん、誰の出生図にも10天体は入っていますし、天体の入っていない星座でも、支配星はあるので、何らかの天体はからんでいます。そう考えると、発達しやすい要素や未発達になりやすい要素がある、というだけで、人間というのは「この人はこういう人」と決めつけられるものではなく、生きていれば流動的に変わっていくのが自然です。置かれている状況や相手によって、前面に出てくる要素(いわゆる「キャラ」)が違ってくることもあるでしょう。職場で見せる顏と家庭での顔が違うこともよくありますし、親に見せる顏と恋人に見せる顏は違ってくるはずです。
そうした一人の個人の中のさまざまな要素をひっくるめて、一人の人間が出来上がっているというふうに考えることもできます。イタリアの心理学者ロベルト・アサジオリが開発したサイコシンセシスでは、そうした要素を「サブパーソナリティ」と呼んでいます。互いにバラバラに見える各要素を、それぞれを活かして全体の中で有機的に機能するように統合していくのがサイコシンセシスです。たとえば、私は思いやりがあってしっかりした人間であって、気ままに振舞いたがる自分は私ではない、というように、この要素が私であって、別の要素は私ではない、ということではありません。
自分が「これが私」と思っているものは、サブパーソナリティのひとつでしかないかもしれません。たとえば、出生図で風の要素が強くて水の要素が弱く、極めて理知的な人であっても、感情がないわけではないでしょう。水的な要素が弱くて、単にその声はかき消されやすいだけなのかもしれません。そうした声を意識して汲み取ってやらないと、そのサブパーソナリティはいつの日か悲鳴を上げたり、暴走し出したりする可能性もあります。
サイコシンセシスでは、そうしたバラバラで対立しているように見えるものを統合していくという作業は、個人を超えて、社会レベル、地球レベルでも行う必要があると考えます。こうした発想は、SDGsが重視されている今の時代にぴったりだと思うのです。
世界のあちこちで見られる対立をなくしたいと思うのであれば、まずは自分個人の中で対立しているサブパーソナリティたちの声を聴くこともしなければならないでしょう。そうした各サブパーソナリティを見つけ出して「全体」へと統合していくためのツール、それが占星術だと私は思っています。
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