からだ, こころ

私はだいぶ以前に子宮内膜症を患っていたことがありました。その病巣がなぜか突然消えてしまったことは過去の記事で書いた通りです(こちらを参照)。

MRIでもエコーでも病巣が見当たらないと言われたときには耳を疑いましたが、もちろん嬉しかったと同時に、ちらりと頭をかすめたことがありました。それは、「困った、内膜症を言い訳にできなくなってしまった」というものでした。

では、私は子宮内膜症があることを何の言い訳にしていたんでしょう。当時私は、とある団体でボランティアをやっていました。すべてボランティアで成り立っている団体だったので、人手は少なく、私はかなりの量の仕事を引き受けていました。最初は、皆大変そうだし、ほんのちょっとだけ、という気持ちでしたが、「ちょっと手伝いましょうか?」と言ってみたら、あれもこれもと次々と頼まれ、それ以上頼まれるのはイヤだったので、集まりには顔を出さずにいたのです。

そのときの言い訳が「私には子宮内膜症がある」というもの。実際には、症状はだいぶ治まっていたので、それを口に出したわけではありませんが、自分自身の後ろめたさに対しての言い訳として使っていたのです。だから、病巣が消えたと言われたときに、そんな想いがよぎったのでした。

内膜症は消えたものの、子宮筋腫はいくつかあるということだったので、引き続き、無意識のうちに、それを心のどこかで言い訳にしていました。

それでも、すでに引き受けていた分も、私にはいっぱいいっぱいだったようです。それに気づいたのは、便秘が1ヵ月も続いたとき。どう考えてもおかしい、と病院へ行き、大腸内視鏡検査を受けました。診断は過敏性腸症候群。要は、ストレスです。それでようやく、ボランティアを離れることにしたのです。

「ストレスが原因」というのは、便利な言葉ですが、実はそれだけでは何の解決にもなりません。いったい何がストレスになっていて、どうしてそれがストレスになることを自分は許したのか。私はただ、やりたくない、と言えばよかっただけのことです。今考えると、その頃の私は、自分はダメな人間だから、せめてボランティアで人の役に立たなくては、と思っていたのだと思います。当時はそんなことにはまったく気づかなかった。

そんなふうに、すべてではありませんが、病気の陰には、隠された意図が潜んでいることがあります。何かをやりたくない、家族の愛情が得られる、注目される、やりたいことはあるけれど、失敗するのが怖いから実は挑戦したくない、など。ホリスティックな見方では、肝臓は怒り、腎臓は怖れというように感情と関連づけられることがありますが、抑圧された感情が信号を発している場合もあるかもしれません。

病気という形でそうした心の声に気づくことにならないように、日頃から自分の中の隠れた小さな声にも耳を傾けましょう。