メメントモリ~死を想え~

占星術, 雑記

先日、『祈り・藤原新也展』に行ってきました。懐かしい写真を見たくて。

私が藤原新也さんの写真を初めて見たのは、もう四半世紀以上も前のこと。インドに通い始めるようになった後のことでした。『メメントモリ』という写真集に触発されて、3度目にはチベット経由でインドに入り、聖地ヴァーラーナーシーにたどり着きました。そこで縁あって、その後何年か古典音楽修行に通ったのでした。

ヴァーラーナーシーは今思えば不思議な街です。ヒンドゥー教の聖地でガンジス河が流れていて、ヒンドゥー教徒は亡くなると遺灰をガンジス河に流すことを望むので、川岸には2つの火葬場があり、街中では、煌びやかな布をかぶせたご遺体を担架に載せて、神の名を唱えながら運ぶ人びとの姿をよく目にしました。かと思えば、川では沐浴をしたり洗濯をしたり、チャイを飲みながら世間話をしていたり、川沿いでは子どもたちがクリケットをして遊んでいたり、といった日常が繰り広げられているのです。

私も長く彼の地に住んでいたことがあったので、日常的に火葬場のそばを通っていました。つまり、毎日「死」を目にしていたわけです(出生図で冥王星や8ハウスが強い私らしいエピソード)。日本と違って、「死」は遠ざけておきたいものではなく、ごく当たり前の日常の一部。

「メメントモリ」とは「死を想え」という意味のラテン語ですが、「自分がいつか必ず死ぬ事を忘れるな」という警句です。そう、それはごく当たり前の事実なのに、ほとんどの人が普段はそのことを忘れています。

「死」というと、占星術では冥王星や8ハウスと関連付けられますが、伝統占星術では土星と関連付けられます。土星といえば、「制限」や「時間」も表します。時間によって生を制限する「死」というものがあって初めて、「生」は時間の限られた貴重なものとなるのです。

闇があるから光が際立つように、死があるから生も輝きを増す。誰でもいつかは死ぬという当たり前の事実を意識すれば、人生に対する取り組み方は違ってくるはずです。