変容を迫られるとき
冥王星が水瓶座に入りました。9月にはまた山羊座に戻り、11月下旬に最終的に水瓶座に入ります。破壊と再生の星、冥王星。ここのところ、パワハラやセクハラなど、古くからあった縦社会のひずみがあらわになってきていますが、そうした構造が破壊されつつあるのだと思います。権威主義のあがきはまだ続くと思いますが、最終的には水瓶座的な横のつながりを重視する世の中になっていくことを期待しています。
そんな星の動きと呼応するように、活動宮と柔軟宮(牡羊座と牡牛座、蟹座と獅子座、天秤座と蠍座、山羊座と水瓶座)の境目あたりに天体や感受点のある方のご相談が増えているような気がします。冥王星の接触によるものでしょうか。
たとえば、やはりパワハラを受けたり、周囲の風当たりが強くなったりして職場を辞めざるをえないような状況に追い込まれているなど。長年働いてきた職場を離れなければならず、未練もあるのだけれど、もうこれ以上は耐えられないほどギリギリの状態になっている方もいました。
不本意にも現状を手放さなければならない場合、「なんでこんな目に遭わなければならないのか」という気持ちにもなるでしょうし、恨みつらみや現状への執着が出てきたりもします。
そうした状況は冥王星的だと言えますが、冥王星は破壊と再生の星です。一見単なる破壊に思えても、それは新たに何かを築くためのものだと捉えれば、状況の見方が変わってきます。冥王星のコンタクトが見られる時期には、容赦ない出来事が起こって、否応なく変わらざるを得ないこともあるでしょう。でも、元の状況に戻ろうとしないこと、過去にしがみつかないことです。
私も数年前に、出生図のMCにソーラーアークの冥王星が、冥王星にソーラーアークの太陽が、ASCにトランジットの冥王星がトリプルでコンジャンクションになったときがありました。今振り返ると、ちょうどその頃が転機だったなとわかります(占星術を勉強してみると、これだけ強力に冥王星が接触していたのなら、そのままでいられるわけはないと納得)。長年歩いてきた道から方向転換することになったのです。でも、渦中にいるときは、未練たらたらで、後ろを振り返っては「あのときこうだったら」などと考えていたものでした。決して潔く手放せたわけではなく、何年もかかってようやく、自分は今違う道にいるのだということを認められるようになりました。そういえば当時は、電車を乗り換える夢をよく見ていました。大きな駅で大勢の人の中を、「今ならまだ乗り換えに間に合う」と大急ぎで走っていく夢です。乗り換える前でいつも目が覚めていましたが、どうやら私は違う電車に乗り込めたようです。
冥王星ってホントに容赦ない、と思いますが、海王星的な被害者・犠牲者でいるだけでは前に進めません。冥王星の試練を受けると、海王星のように純粋で無邪気ではいられなくなります。それでも、物事の暗い面や痛みを知ることで、他者の痛みも理解できるようになり、慈悲心も生まれます。他者の痛みは自分の痛みとなり、本物の海王星意識も培われるのです。そんなふうに、冥王星はきちんと向き合えば、自分という器も破壊して、ひと回り大きくしてくれるでしょう(本当に、容赦ないけどね)。
何がいいか悪いかなんて、塞翁が馬ということもあるし、結局のところ、時間が経ってみないとわからないわけです。迷うこともあるでしょうし、気力がなくなることもあるでしょうけど、休みながらでも、悪態つきながらでも、とにかく歩いてみてください。気がつけば、今まで見たことのない違う景色が見えているはずです。
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